さとやま通信

2017.10.02

【尾道市「前々後振興区 尾道柿園」】柿から見る、時代の変化。日本一の柿渋生産地・尾道を、そして故郷を、復活させたい。

photographs & text by Teruaki Takekuni

topimage

_DSC2010

「昔は150軒ほど柿を作る農家があったんだけどね」。

“柿渋仕込みと柿渋染め体験”のイベント挨拶で、そう語り始めたのは、尾道柿園の宗康司(むねやすし)さん。

1974年。高校を卒業して、故郷の尾道・御調を離れた。時は高度成長期の終わり頃。当時の日本にはまだ勢いがあって新しい雰囲気とともに人々は希望に満ちていた。

都会に憧れ、都会で働き、都会に家庭を築いて、人並みの幸せを手に入れたはずだったのに…、年齢を重ねるごとに故郷への郷愁は募っていく。

子どもの頃に故郷で盛んだった“串柿づくり”は、縁起良いお正月の飾りとして人気でしたが、時は移り変わり需要減少。同時に故郷の高齢化で作り手が少なく寂しくなっていきます。150軒の生産農家は2010年頃には8軒に減少。遂には宗さんの両親も“串柿づくり”をやめることに。募った郷愁の念と「このまま故郷が廃れてはイカン」との思いに悩み続けました。

_DSC2034

そして6年前… 2011年。長く勤めた営業職を辞めて37年ぶりに故郷へUターンします。江戸時代から続くといわれ伝わる“伝説の柿の里”を復活させる覚悟で。

Uターンしてすぐに、子どもの頃に見ていた風景の記憶を辿り、里山を練り歩きました。するとたくさんの柿の枯れ木が残っています。その数3000を超えます。往時の生産量が今に生きていることを確認できたことに希望を覚えました。そして柿の木だけではなく人材もありました。宗さんと同じ思いを抱く“幼馴染”が居たのです。

_DSC2532

成功させるためには、まず宣言することが大切だとして「尾道柿園を会社に」そして「柿の里復興」を宣言して、柿山の手入れに着手します。健康志向に基づいた製法にこだわり、見た目の色味は良くとも健康に悪い“硫黄燻蒸処理”は行わず、失敗のリスクを負いながらも、日本ではここだけとなる“完全天日干し”で無添加の美味しい干柿づくりを実践しました。できあがった干柿をネット販売したところ作った全てが一気に完売。世の中に認められたというこの経験は“伝説の柿の里”復活の礎となりました。

そうした背景の中で、今回ココロザシ応援プロジェクトとして開催された「青柿を集積して柿渋の仕込み→柿渋染体験!」は、県内各地からたくさんの方が参加されました。

_DSC2079

_DSC2200

昔は竹で作った“柿取り棒”でしたが、今は“高枝剪定ばさみ”。道具は便利になったとはいえ、街に暮らす参加者さんは柄の長い道具に悪戦苦闘。慣れてくると楽しいようで、子どもたちは次から次へと青い柿の実を収穫していきます。

柿渋には青い柿の実が適します。青い実のうちは、含まれるタンニンが絞って溶け出しやすいのだとか。

_DSC2540

_DSC2651

収穫した柿は、電動すりおろし器で粉砕していきます。すりおろし器に実を投入すると実が飛び散ります。子どもたちはそれが楽しかったようで♪

_DSC2570

すりおろし果肉を絞り袋に移して、体重をかけるように圧搾。ジュワッ!と青いエキスが滲み出てきました。

_DSC2821

_DSC2939

「今日の柿渋染は2回染色します」と宗さん。ムラにならないように一回毎に水洗いして染は薄くなりますが2回重ねて淡い茶色になるようにと。

_DSC3007

干す過程で日光の紫外線に晒します。紫外線にタンニンが反応して色が出てくるのだとか。染めた手ぬぐいを首に纏えば、柿渋の防虫効果で農作業中も虫が寄ってこないそうです。

_DSC3067

宗さんの新たな一手。ドライフルーツ構想。これは、“やまなみ街道~しまなみ海道”をつなぐ南北の特産果実(御調の柿・尾道の無花果・因島の八朔・生口島の檸檬)をドライフルーツにして「新たなお土産品を作りたい」というもの。説明にも熱が入る。

「柿の持つ多面的な可能性は効能や機能ともに素晴らしい。それを具体的なカタチに昇華して、1つヒット商品として世に送り出す事が大きな契機になると思うんです」。 山間部の復活には、ヒット商品の出現が欠かせないと語る。

(写真・文:竹國 照顕)

〈当日のプロジェクトについて〉

「尾道柿園」のfacebookページを見る

「尾道柿園」の公式ホームページはこちら